なぜラオウ編という最高峰の結末の後に、物語は継続されなければならなかったのか。その背景には、1980年代後半の週刊少年ジャンプ編集部が抱えていた過酷なビジネス構造がありました。公称発行部数500万部〜600万部へ向けて急成長していた当時のジャンプにおいて、大黒柱である『北斗の拳』の連載終了は雑誌の存亡に直結するタブーだったのです。
原作者の武論尊氏は、後年の回顧録や対談において「ラオウ戦で完全に燃え尽きていた」「ラオウが死んだ時点で自分の中の『北斗の拳』は終わっていた」と率直に認めています。作画を担当した原哲夫氏もまた、極限のスケジュールと腱鞘炎に苦しみながら、ラオウ以上の敵を描くことの構造的困難さに直面していました。天帝編以降、次々と登場する新キャラクターや新たな拳法(元斗皇拳、北斗琉拳)は、枯渇しかけたアイデアを極限まで絞り出した作家陣の血滲む奮闘の産物だったといえます。
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