しかし、なぜプロのトップミュージシャンたちは、この完璧なコード進行を称賛する一方で「劇薬」と呼ぶのでしょうか。
音楽プロデューサーの蔦谷好位置やヒャダイン、ベーシストの亀田誠治らが指摘するのは、このコードが持つ「過度な味の濃さ」です。料理に例えるなら、ほんの数滴垂らすだけでどんな素材も高級レストランの味に変えてしまう特製ソースのようなもの。適当な鼻歌を乗せるだけで、誰でもそれなりに都会的でエモーショナルな楽曲を作れてしまいます。
ここに作家としての罠が存在します。コードの牽引力が強すぎるあまり、メロディの独創性が乏しくても曲として成立してしまうのです。結果として、作家が本来持っている個性や実験性が奪われ、どこかで聴いたような「丸サ風シティーポップ」の量産に陥ってしまいます。安易に手を出すと作家の寿命を縮めかねない。プロたちが「劇薬」と呼ぶ背景には、音楽の神髄を知る者ゆえのリスペクトと、表現の画一化に対する強い危機感が共存しています。
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