日本リーグ(JBL)では、名門・住友金属工業(現・日本製鉄)の屋台骨として長きにわたり君臨しました。ゴール下に岡山氏が立つだけで相手チームのアウトサイドシュートの弾道が狂い、リバウンドは一手に回収されました。日本代表としてもアジア競技大会やアジア選手権に幾度となく選出され、中国や韓国の大型センター陣と激しいマッチアップを演じました。
| 年代 | 所属・主要イベント | 主な実績・記録 |
|---|---|---|
| 1975, 1979年 | 大阪商業大学 | 大学界を席巻、日本代表に初招集 |
| 1979, 1996年 | 住友金属スパークス | 日本リーグ優勝複数回、新人王、得点王、リバウンド王 |
| 1981年 | ゴールデンステート・ウォリアーズ | アジア人初のNBAドラフト指名(8巡目161位) |
| 1996年 | 日本リーグ現役引退 | 41歳6ヶ月での公式戦出場(当時の最高齢出場記録) |
特筆すべきは、その驚異的な選手生命の長さです。身長220cmを超える超大型選手は膝や腰への負担が極めて大きく、短命に終わるケースが世界中を見渡しても珍しくありません。しかし、岡山氏は徹底したコンディショニングと怪我を防ぐ合理的なプレースタイルを貫き、1996年に引退するまで41歳6ヶ月という驚異の年齢までトップリーグでプレーし続け、当時の日本リーグ最高齢出場記録を打ち立てました。
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